エノキ | 学名 | Celtis sinensis |
別名 | エ、エノミ(榎の実)、エノミノキ、エンノキ、ヨノキ、ヨノミノキ 朴樹(中) |
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榎 | 分類 | ニレ科エノキ属 (落葉高木) |
いろいろな解釈はあるが定説は無い。餌の木(小鳥が好む)、枝の木(枝が多い)、柄の木(器具の柄に使われた)、よく燃えるので燃え木など。さえのかみ(道祖神)の木→「さえのき」の説も。 | 原産・分布 | 本州、四国、九州。朝鮮、中国、台湾、ベトナム、ラオス、タイ。 |
神奈川県 | ブナ帯を除き、全域に分布する。 | |
用途 | 庭木、公園樹、建築・器具・家具・機械材、薪炭材 | |
社寺の境内、公園、山地にきわめて普通に見ることができる。古くから人の生活の近くにあり、地方ごとにまつわる話がある。また一里塚によく植えられた(こぼれ話し参照)。榎の漢字は、道路脇の大樹が木陰を作るので、夏の木の意味の和字。 大木になると、1本でも林のような大きな梢を作る。大木にはなるが先駆種であり、暗い樹林内では育たない。林縁部や新しく開けた場所に多い。 |
樹 港区 浜離宮 020529 |
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樹皮は厚く灰色、または灰黒色で、小さな皮目が多く、ざらざらした感じになる。写真のように横方向に皺がより、ゾウの膚のようにも見える。 薪炭材としては火力が強く、生木でも燃焼しやすい。 |
幹 港区 浜離宮 020529 |
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葉は互生し、左右不同の広卵形または楕円形。縁の上部に鋸歯がある。葉の基部から出る3脈が目立つ。これがエノキの葉を特徴付ける。 ★食★オオムラサキ、ゴマダラチョウ、ヒオドシチョウ、シータテハ、アカボシゴマダラチョウ、テングチョウ |
葉 川崎市 040506 |
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雌雄同株、雄花・両性花。 4月に、新枝の下部あるいは葉腋に雄花を、新枝の上部の葉腋に両性花を付ける。写真の枝の上で雄蕊の開いていない花が両性花。雄花の方が早く開花する。 |
花 横浜市 港北区 050414 |
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果実は核果で、10月頃に赤褐色に熟す。昔は子供のおやつにされていた。種子は果実に比べると大きく(写真下)、食べるところが少ない。 小鳥の好物であり、広く散布される先駆種あることがうなずける。試しに食べてみると味は無い。 ★食★アカハラ、オナガ、カラス、コジュケイ、シメ、シロハラ、ツグミ、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、レンジャク |
果実 川崎区 (植栽) 041023 |
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種子の大きさは5mm、表面に皺があり、ひび割れ模様ができる。鳥の消化器を通過できるように充分に堅い。 | 種子 横浜市 港北区 篠原園地 101027 |
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実生の初めに出る本葉では判別しがたい。子葉(双葉)は楕円形で先が凹む。 | 芽生え 横浜市 港北区 篠原園地 070413 |
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枝は細くて細毛が残る。冬芽にも暗褐色の毛がある。冬芽は小さい。1〜5mmの三角形で、伏生する。 | 冬芽 立川市 昭和公園 050306 |
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1年枝は、春になるとすべての芽から一斉に芽吹く。しかし基部の方の枝はあまり成長せず、翌年には枯れてしまう。 | 芽吹き 東京都 海の森 190413 |
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エノキハトガリタマフシ(榎葉尖り玉フシ)。形は、ヤマブドウの葉につく、ヤマブドウハトックリフシと似ている。 タマバエの幼虫によって作られる。5〜6月には成熟し、地上に脱落する。中には1匹の幼虫がいて、そのまま翌春まで虫こぶの中で過ごし、蛹化する。 |
虫こぶ 横浜市 根岸森林公園 040507 |
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エノキハイボフシ。フシダニにより形成される。葉表に不規則な形状の突起ができ、その表面は、平滑あるいは褐色毛を散生する。 こちらの虫コブの生態は、分かっていないようだ。 |
虫こぶ 茨城県 つくば市 061019 |
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こぼれ話 「一里塚」 一里塚を広辞苑で調べると「街道の両側に一里ごとに土を盛り里程の目標にした塚。多く榎を植えた。」とある。古くは平安時代末期に奥州藤原氏が里程標を立てたのが始まりとされる。室町時代の一休和尚の歌に「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」があり、一里塚の言葉は一般化していたことが分かる。 江戸時代に主要街道の整備と共に一里塚も整備された。その整備の際に、並木としては松や杉を植え、一里塚にはエノキが植えられた。エノキは成長が早く枝を繁らせ、よく根を張るので塚の土盛りが崩れるのを防ぐので採用されたと解釈できるが、いろいろな説がある。当時の総奉行大久保長安が「一里塚には余の木(松以外の木)を植よ」との家康の命を聞き誤りエノキを植えた、という説が面白いとしてあちこちで紹介されている。明治36年刊行の「大日本有用樹木効用編」には、エノキは生でも燃えやすいので軍事上、夜戦のときに使うことができるとして植えられたという説が紹介されている。 実際に五街道の一里塚の樹種を調べるとエノキは過半数(55%)を占め、以下、松、杉、栗、桜と続くようだ。塚の大きさは一般に五間(9m)四方、高さは一丈(3m)で、道の両側に作られたのでかなり大がかりなものだった。現在でも各地域の史跡として保存されている場所が多い。地名にも笹塚など「塚」の字が残っている。写真上は日光御成街道の一里塚(Wikipedia「京浜にけ」より)。下は甲州街道21番目の一里塚、通称「恋塚」。 一里塚は一里約3.9Kmごとに設けられた。同様の目的で作られたものは他の国(単位)にもあり、マイルストーンとかキロポストと呼ばれる。マイルストーンはその名の通り1マイルごとに石の構造物が置かれた。ローマ帝国のアッピア街道が始まりとされる。古代ローマの1マイルは1000歩の距離で約1.5Kmとされ、現在の国際マイルは約1.6Kmである。 一里塚もマイルストーンも、大きなプロジェクトの途中の区切りの比喩で用いられることが多い。 |