ヤマブキ |
学名 | Kerria japonica |
別名 | スッポン、ツキ、トーシン | |
山吹 | 分類 | バラ科ヤマブキ属 (落葉低木) |
しなやかな枝が、風に揺れる様子から付けられた名。かつて「山振」と書いた。振(ふき)は、フル(振る)の古語。 | APG分類 | バラ科ヤマブキ属 (落葉低木) |
原産・分布 | 北海道、本州、四国、九州、朝鮮、中国 | |
神奈川県 | ほぼ全域で見ることができる。栽培の野生化も多い。 | |
用途 | 庭木 | |
山中の小川に沿って普通に野生する。また庭にもよく植えられる。地下茎で増え、大群落になることもある。一属1種。 古くから日本人に愛されてきた花の一つ。万葉集には17首登場する。別名は地方名が多い。 |
ヤマブキ群生 神奈川県 大磯町 高麗山 070406 |
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茎は細く、根元から多く株立ちし、高さ1〜2mになる。園芸品種も多い。この写真の株もやたらと花が多い。 | 満開の株 横浜市 神奈川区 (植採) 070411 |
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茎は初めは緑色で2〜3年で褐色になり木質化する。1つの茎の寿命は5〜6年以内。 一般に低木の幹は株立ちになるものが多い。1本づつは数年で枯れる。株は次々に新しい茎を伸ばし大きくなる。 |
幹 上野原市 秋山 171004 |
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葉は互生。葉身は卵形で先は尾状の鋭尖頭、基部は浅い心形。縁は不整の重鋸歯がある。表面は葉脈上に毛が散生し、裏面は全面に細かい毛がある。 | 葉 上野原市 秋山 110531 |
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雌雄同株。 4〜5月に、前年枝から出た短枝に、黄色の花を頂生させる。花弁は5枚で、平開する。雄しべは多数、雌しべは5〜8個ある。 鮮やかな花の色は、山吹き色とも言われ、親しまれている。 よく似ていて花の白いシロヤマブキがあるが、異なる属の木である。 花言葉「気品、崇高、金運」 金運は花の色を黄金に見立てたことから。 |
花 神奈川県 大磯町 高麗山 070406 |
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八重咲きの品種ヤエヤマブキは古くから知られ、平安時代には庭に植えられていたという。八重咲きの花弁は雄しべが変化したもの。さらに雌しべも退化しているため、結実しない。(「こぼれ話し」参照) |
八重花 横浜市 港北区 060406 |
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果実は痩果。熟して乾くと暗褐色になる。5個の種子が星型に並ぶが、通常熟すのは1〜4個のみ。写真は、3つしか結実していない。 | 若実 横浜市 神奈川区 (植採) 101004 |
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枝は緑色で綾があり、ジグザグになる。 冬芽は葉芽、あるいは花芽を包含した混芽になるが、冬の間は区別は難しい。一般に枝先は混芽、根元は葉芽になる。緑色〜赤褐色で、先が尖る。 |
冬芽 横浜市 港北区 080128 |
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冬芽が芽吹くと、混芽は先端に花をつけ、葉は数枚で短い枝のままその年の秋には枯れてしまう。花の無い葉芽は、そのまま枝を伸ばして新しい1年枝になる。翌年その枝に花が咲く。 | 芽吹き 上野原市 秋山 200408 |
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こぼれ話 「太田道灌」 室町中期の武人の太田道灌(1432〜1486)が、著名な歌人になるきっかけの挿話としてヤエヤマブキが有名。 道灌は幼少から叡智に長け、室町の混乱期の戦いの中で江戸城を築城したことで有名。諸書に通じて兵学、易学を修め軍師として名をなし、才気だけでなく傲慢なところもあったようだ。 狩猟を好み、ある日鷹狩りに出た時ににわか雨にあう。付近の小さな農家で、雨宿りをしながら蓑を借りようとした。すると娘が出てきて、黙って一輪の山吹の花を差し出し、微笑むだけだった。道灌は訳がわからず、「花が欲しいのではない」と怒って館に帰る。その後、家臣にその話をすると、物知りの家来がいて謎を解いてくれた。 それは、古歌にある 七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき に掛け、「こんな山あいの茅葺きの家であり蓑のひとつもありません」と応えたのでしょう、と。 道灌は、自分が古歌を知らなかったことを恥じ、その後詩歌に励み、歌人としても有名になったとされる。 件の古歌は、後拾遺和歌集にある中務兼明親王(914〜987)の歌で、同様の意図(蓑を貸すことができない)が込められている。またヤエヤマブキには実のならないことが当時(平安時代)の常識だったことを示している。 道灌の相手をした農家の娘は、武蔵国に落ちのびた武士の娘で、後にその素養のすばらしさに道灌は愛妾にしたとされている。 場所については、道灌が父の住む越生(埼玉県)を訪ねたさいの話しとする説や、新宿区山吹町をその地とする説がある。豊島区高田の面影橋の近くにも「山吹の里」の碑がある(右写真)。 |