ヒマラヤスギ |
学名 | Cedrus deodara |
別名 | ヒマラヤシーダー | |
ヒマラヤ杉 | 分類 | マツ科ヒマラヤスギ属 (常緑高木) |
原産地の地名から。 | 原産・分布 | ヒマラヤ北西部〜アフガニスタン東部原産 (明治12年頃渡来) |
神奈川県 | 自生は無い。庭木、公園樹などの植採は多い。 | |
用途 | 庭木、公園・街路樹、建築・土木・器具材 | |
幹は直立し、樹高が20〜30mになる。原産地では50mに達する。枝が水平に広がり、樹冠は円錐形になる。 名前は杉ではあるが松の仲間。かつては公共の緑化樹木として、多く植えられた。 |
樹 立川市 昭和記念公園050306 |
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樹皮は灰褐色で、細かく鱗片状に剥がれる。 原産地では、材は建築・土木・家具に広く使われる。日本では雨が多く、生育は良いが、材には水分が多い。 一度薪として利用したことがあるが、乾燥しても炎を上げて燃えにくく、燻ることが多い。マツ科とは言え難燃性なのかもしれない。意外だった。 |
幹 立川市 昭和記念公園 050306 |
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葉は、短枝には束生する。長枝には、らせん状に散生する。葉は針形で断面は鈍三角形か円形。白色の気孔線がある。 | 葉 立川市 昭和記念公園 050306 |
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雌雄同株、雌雄異花。 花は10〜11月に開花する。雄花は円錐形で、長さは約3cm、初めは淡緑色、後に熟すと茶色くキツネの尾のようになる。花の後は大量に樹下に落ち目立つ。 |
雄花 藤沢市 六会 051115 |
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雌花は、5mm程度と小さく目立たない。写真は受粉直後の状態と思える。 | 雌花(受粉後) 横浜市 港北区 100105 |
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球果は直立し、翌年の10〜11月に熟す。長さは6〜13cm。 マツの仲間(スギではない)の球果の成熟期間は、 ・春〜秋の半年で熟すもの(モミ、シラビソ) ・秋〜秋の1年〜数年で熟すもの(ヒマラヤスギ) ・春〜翌年の秋の1年半で熟すもの(アカマツ、クロマツ) などがある。 |
若い球果 新潟県 長岡市 悠久山 080828 |
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種子は、写真右のように球果の鱗片に2個づつ重なって脱落するが、途中で鱗片から離れ、薄膜(写真左)を翼に風に乗る。 種子はくさび状卵形で15mmほど。 |
種子 横浜市 100213 |
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こぼれ話 「レバノン杉」 ヒマラヤスギの仲間にレバノンスギがある。ともにマツ科ヒマラヤスギ属だが分布域が異なり、ヒマラヤスギがアフガニスタンを中心とした中東北部、レバノンスギがシリアを中心とした地中海東部沿岸になる。両種ともに耐久性や難腐敗性、芳香性があり古代から建築用材として用いられてきた。ただしレバノンスギの生育地が古代文明が次々に栄えた地域だったことから、その後の運命が大きく異なることになる。以下「森と文明の物語」安田喜憲著より。 紀元前5000年頃。最古の文明メソポタミア文明の栄えたチグリス・ユーフラテス川の上流部にレバノンスギの森があった。人類最古の叙事詩「ギルガメシュ」ではウルクの王ギルガメシュがフンババという森の神を殺してレバノンスギを伐り出すことが描かれる。ギルガメシュはレバノンスギでウルクの町を立派にした。 紀元前2200年頃。南部メソポタミアは深刻な木材不足になっていた。アッカド王は豊富な森林資源を持つエブラ公国を攻め滅ぼし、大量のレバノンスギをユーフラテス川経由でアッカド国まで運んだ。当時の南部メソポタミアは市民の日常の燃料である薪にも不自由だったと記録にある。 古代エジプトでもレバノンスギは必需品だった。巨大な建造物を作るための土木用材として、要人の埋葬における木棺として、船の建造材としてレバノンスギを利用していた。クフ王のピラミッドの近くでは「太陽の船」と呼ばれる40mを超える最古、最大の船が2艘発見されている。写真上。 紀元前12000年頃。地中海東岸を中心に活躍したフェニキア人は、背後のレバノン山脈の急峻な山地に残ったレバノンスギを伐り出し船を作ることで繁栄した。交易に使う船も戦うためのガレー船もレバノンスギを利用した。さらには主要交易品としてもレバノンスギを伐り出し、ローマやエジプトに輸出し富を築いた。 その後も近世まで、人間の欲望のままにレバノンスギは伐られ続けた。レバノンスギはレバノンの国旗(写真下)にも描かれているが、現在のレバノンには限られた場所に1200本ほど残るだけといわれている。絶滅の危機に対し、植樹活動も開始されている。一方、トルコの山岳地帯にまだ多くのレバノンスギがあるとの話もある。絶滅危惧種としての扱いは「軽度懸念」で再評価が必要とされている。 |