1998.8.8〜8.13
5時。奈良田駐車場。
車用の炊飯器具を忘れ、レトルトの粥を冷やのまま食べる。支度中に6〜7人の登山のグループが駐車場の前を発電所の方に向かって過ぎる。多くが古い綿の幅広ザックを背負っている。年配者のグループだろう。6時に歩きはじめる。奈良田湖にさしかかるところで、学生らしい4人グループが支度をしている。挨拶をかわす。ダムサイトの公園では、小さな四阿でシェラフに寝ている2人がいる。
朝の奈良田湖
黒河内川への入り口へ降りていく。以前は雪解けでダムが放水をしていたが、今は静かで水も少ない。ダムのすぐ下の小高い河原でテントを張っているグループがいた。黒河内川もひどく水が少ない。工事用道路を過ぎ、大きな堰堤にさしかかる。藪をこいだ瞬間、左人指し指に痛みが走る。アブかハチか。小さな赤い点の傷口がある。すぐに口で傷口を吸い、堰堤の上まで着いたときに薬をぬる。以降まったく痛みも腫れもなく安堵。
春先に下見に来て引き返した地点を通過。水線で行くか巻き道を行くか悩むと30分位がすぐにたつ。水線通しで腰まで水に浸かって進むうちに、山の斜面のパイプで組んだ階段とブルーシートの小屋掛けが見え、取水堰堤に近づいたことを知る。どうも巻き道を気付かずに来たようである。小屋のうえに上がるのが面倒で、そのまま水線通しで登ろうとして取水堰堤を見に行く。ゴルジュの中に鉄骨の橋を掛けての取水口だった。下からは登れないので、小屋を経由して橋を渡る。ここで9時近くになる。
制御機器のある棚で休憩と軽食をとりながらルートを探す。目の前にある2mの滝は登れそうもない。設備の面した山側にロープの降りるのを発見。これがルートだろう。ザック無しによじ登ってみる。行けそうだ。設備の屋根に登る感じで小さく巻いて越えることができた。
黒河内の北俣との出会いをすぎる。1対1位の水量。すぐに6〜7mの滝になる。手前の右岸から巻く。河原をしばらく行く。
地図で奈良田越えの登り口を確認する。近辺を登ったり下りたりして踏み跡を探すが明確なものは無い。ともかくはここを登るしか無さそうなので覚悟を決める。昼飯としてソーメンを3束食べる。水を500mlと250ml持つ。今が1280m付近、ここから1900mの奈良田越えを越える。11時30分。
道はほとんど不明。しかし藪が無いので、アイゼンを付けた足なら楽である。左へトラバース気味にしながらひたすら登る。1400mで枝沢が滝をかけていた。とりあえず左へ、上へ。1600mを越えてバテ気味となる。14時。少し藪コギ。ヘリコプタが黒河内の谷に低く入って来る。何かを探している。
1700m付近で消耗。15時。水分補給のペースを間違えた。渇きと空腹であと200mは苦しい。蔦から水分が取れれば野営が出来る。蔓をナタで切るが水滴は出ず。野営はあきらめる。残った水でパンを胃に流し込み30分休む。
17時1850mを越える。下を見て歩いていて目を怪我する。17:30林道に出る。今までの緊張が一気に薄らぐ。林道の途中にツェルトでビバークする男性あり。大井川東俣が眼下に流れる。向かいの峰が西日を背景に雲の中に光る。大井川水域に初めて立つ。
奈良田越えに立つ
一度道を間違え、喉は渇き、間もなく夕暮れとなりそうだが、初めて東俣を足元に見て心は軽い。林道沿いの湧き水の近くでテントを張ろう、と思いビールを飲みながら急な林道を下りはじめる。が、結局東俣沿いの林道にまで降りてしまった。7時に薄暗がりの中で水の流れを見つけ、近くにテントを張る。500mlのビールを飲むうちに疲れから食欲が無くなり、ぐったりする。真っ暗のなかでテントにもぐり込み寝てしまう。
翌朝5時30分に起き出す。天気は晴れ。気温は14゚C。夜は冷えた。今日は池の沢出会いまでの移動である。昨夜は夕食を食べていないので朝からカレーにする。
9時にかたづけ終わり出発。しばらく林道を行く。河原に下りやすそうな所を見つけ下りる。水量が少ない。林道がどんどん高く登っていく。河原は広くなだらか。林道を無視して河原を行くとそのうち地図にない大きな取水堰堤となる。道理で水が少ないはずである。今さら林道まで引き返せないので堰堤の設備の中に入り、ダムの上を通って林道への階段を登った。息が切れる。それから上は豊富な水量だった。
途中2人のフライの釣り人を見る。すぐ下流にテントがある。釣れているようには見えない。天気が良すぎるのか? 12時を過ぎに昼めしのスパゲッティを食べ、またリュックを背負いひたすら歩く。
すぐに広河原橋を渡ると川沿いから山中に入っていく。地図とは少し異なっており、大分登ってから沢を横切る。林業の作業小屋(もう使っていない様子)が多く点在する中を抜けていく。車の通れる林道が突然に無くなり、ついに林のなかの細い小道となる。それもしばらく行くと大きなガレ場に行き当たる。小道もそこで消える。あとは河原の歩きやすそうなところを探しながら歩く。
池の沢出会いの広河原では2張りのテントがいた。そのテントの横を池の沢の方に入っていった所にテントを張る。14時半。池の沢小屋はどこなのか見渡しても見つからない。
テントを張っている横を、挨拶しながら池の沢に入っていこうする人がいる。二軒小屋から歩いてきたと言う。二軒小屋まではリムジンバスで2000円だが椹島か二軒小屋で泊まることが条件。二軒小屋は12000円、椹島は7000円、何とか泊まらないでバス利用ができないか考えているそうだ。山を越えましょう、山を。
晩飯を食べ、焚き火を燃やし就寝は20時。夜の気温17°
5時に目が覚めるも眠い。
6時起床。気温は14°
朝のコーヒーを飲む。朝食中にひとり池の沢に入っていく。山越えの装備なので沢をつめて稜線に出るのか。黙々と通りすぎて行った。
7時30分出発。林の裾に小道があり、登ると池の沢小屋がある。十分にきれいな小屋である。テントを張っていなければこちらが良い。入口の横に小屋整備のための募金箱がある。残念ながら財布を持っていない。
昨日の人を含む男性2人、女性1人のグループがテントを畳みおわり一休みしている。もう一張りの男性若者5〜6人のグループは先程二軒小屋の方へ出発していった。昨日の男性が本流は釣れないと仰る。だからって今さら止められない。
本流を上る。しばらくして竿を出すが全くあたりが無い。広い河原に朝日が降り注ぐ。右に大きく曲がると壊れた吊り橋がかかっていた。だけど全く当たりが無い。
先行者が下りてくる。二人。畑なぎダムよりバイクで来たと言う。なるほどそれなら山小屋に泊まる必要もなく気儘である。まったく日帰りの軽装で意外な感である。大井川東俣、池の沢出会い以遠も日帰りで来る人がいるとは。魚がいないはずである。
この二人も、少し行った最初の滝で釣れないので戻ってきたと言う。本流は魚止ノ滝の上の二股からが釣れる、と言われているそうである。魚止ノ滝まで行かなくても尺が何本かは釣れて満足して帰るつもりが暗転。少なくとも魚止めまで行くことにする。急ぐ必要がある。
白根沢を過ぎ、ポイントを拾いながらペースをあげる。2年魚位のイワナがときどき掛かる程度で釣れない。14時に滝ノ沢を右に見る。この枝沢の入口を探ってみるがやはり釣れない。
魚止ノ滝に近づいたかと思うころ渓相も良くなり落ち込みが多くなる。滝の手前の連続した落ち込みで尺手前を2本上げて満足。15時30分池の沢出会いまでは距離もあるので急ぎUターンする。魚止ノ滝は右岸を楽に越えられそうで踏跡も残っている。
急いで下ったが戻りは2時間以上かかり、テントにたどり着いたのは18時近かった。夜の気温は16°C。
予定では明日にテントをたたみ、池の沢を釣りながら登り、広河内岳を越えて大門沢小屋のテン場に泊まるつもりであった。池の沢を釣りながら登ることに不安が無いでもなく、釣りをするなら空身が楽と思い予定を変更する。明日は雪投沢、池の沢を空身で釣り、明後日に早朝から一気に山越えして奈良田へ出ることとする。
早朝、暗いうちからタープを打つ雨音。時々強い雨足となる。気が萎える。7時30分に雨が止む。外に置いたものは全てずぶ濡れ。今日は休息と決めてのんびりと朝食にする。そのうちまた雨となる。
ラジオでは明日も雨とか。困った。濡れたものを背負って山越えはかなわない。今日の晴間を見て、池の沢小屋に転居しできるだけ乾燥させて置くこととする。その方が明日の朝も片づけやすい。ゴロゴロしているうち雨が上がる。12時に昼食にスパゲッティ食べる。タープの表をよく拭き、引っ越しの準備。何回も往復するよりザックにパッキングし1回で移動することとして片づける。
13時半には引っ越し完。仕掛けと竿のみを持って小屋を出る。
初めに雪投沢に向かう。本流を間に池の沢に向かい合って流れ込む、言わば十字峡の形になっている。しかし池の沢の河原の広さに比べ、山が迫っているためか雪投沢の出会いは、狭い岩場の中を蛇行しながらの流れである。
池の沢
あまりに小川なので興が薄れ中止。方向を変えて池の沢に向かう。
少し入った所で8寸クラスが掛かるが即リリース。どうもこのあたりにイワナが居なくなりそうな嫌な予感がする。
沢はそれから上はひどい倒木の山で埋もれていた。まともには登れない。竿も出せないので今日は終わり。明日、この沢を登らねばならない。それも詰めまでの午前中が勝負である。かなり上流までこの調子だとすると不安になる。
明日のために山道を捜しながら下りる。かすかに右岸の山際に踏跡が断続しているのを発見。その踏跡をたどると昨日のテン場の近くに出ると同時に、小屋への近道を見つけ小山で戻る。16時、池の沢小屋。
池の沢小屋
小屋の中は30人位は泊まれる広さで、床が多少傾いてはいるがきれいである。ビールを飲みながら置いてある宿泊ノートを読む。
気が付かなかったが昨日一人が泊まっていたようである。三峰川の大曲に車を止めて、大横川を登り詰め井川越えを越えて東俣に入ったとのこと。奈良田越えも大変だが大横川もかなりの道のりである。東俣は魚止ノ滝上の三国沢に入った様子。明日(今日)は雪投沢を登り詰め塩見岳を越えて三峰川に下り、大曲まで戻る予定となっている。なる程、釣りは三国沢のみのワンポイントだが面白そうだ。来年のルートは決まった。
小屋泊は安心感がある。小屋に戻って暫くは一旦激しい雨が降っていたが、その間もゆっくりビールを飲めるし食事の支度もできる。床が少し傾いていたるめ寝心地は今いちであったが、やはり小屋は良い。
夜中にトイレに起きると月が出ていた。少し冷える。
4時30分起床。まだ暗い。
コーヒを飲み、朝食の支度をする。いつもの粥を食べているうちに外が白んでくる。食器は少ない水とティッシュで拭き取り片づける。結局1時間で支度をして5時30分に小屋を出る。
昨日見つけておいた小屋から続く踏み跡をたどる。絶え絶えの踏み跡を難儀しながら登るうちに倒木の区域は通りすぎていた。流れに戻るとかなり登りも楽になる。このあたりの上流までくると、さすがに南アルプスの渓とは言え苔むした幽谷の渓となる。
途中休みを取りながらも快適に高度をかせいでいく。池の沢小屋で1950mだった標高も2100mを越える。どうも高度計の表示の変化が遅い気がする。流れが急に細くなり伏流となってしまう。7時30分で時間は大分早いが水のあるうちに中間食をとることとする。一旦流れのある所に戻りスパゲッティを食う。時間と高度せいでじっとしていると寒い。
まわりの苔が緑のビロードのようで美しい。
伏流になってすぐに池の沢池が目の前に現れる。水が流れ出る口に枝や枯れ葉が堆積し水量が少ない時は伏流となってしまうようだ。池の直径は50m程度で、深さは浅く1m位か。透明な水が池の底の泥や堆積物をそのまま見せている。
池の縁に出るとはっきりした踏み跡があり半周遊歩道のように続いている。静かな深山の夜叉が池のようにも思える。夜叉が池と言うほどに古くから人里に知られていないからだろうが、池の沢池というのも変な命名である。
池の沢池
地図では2340mなのに高度計は2210mとなっている。気圧が変化してずれたのかも知れない。
池には細い流れが流れ込んでいた。冷たくてうまい水である。これからの山越えに備えて、奈良田越えを反省して1リットルをザックに入れる。またザックが重くなる。
暫くは勾配の少ない気持ちのよい白樺の林が続く。踏み跡が何本もあり迷いそうでもある。次第に岳樺の捩じれた幹や、這い松、笹が多くなる。(推測で)2500mを越えたあたりから這い松と笹のみで背より高い木がなくなる。歩きやすそうに見えるが這い松が足にかかり踏み跡以外は歩けない。その踏み跡も見つけにくいので困る。
その這い松も切れたところでガレ場となる。小型のカールだろうか、登るに連れ景観が雄大になる。正しいルートを歩いているのか大いに不安である。ゴロゴロころがる大きな岩の上を歩いているうちに、人が歩く岩の色が微妙に白っぽくなっていることに気付き少し安堵。
延々とした岩場が終わると禿げた急斜面となる。後ろを振り返ると池の沢の沢筋と、そこに落ち込む南アルプスの連続した峰の大パノラマが広がる。ウーム絶景。さすがに3000m級の山越えである。
カメラを斜面に置き、記念撮影。この写真は30°程の斜面で撮影している。
池の沢の詰め
高度計が思った役割を果たさず、現在位置不明で登っていく。ただ視界を遮るものが何も無いので、ひたすら登れば広河内岳の山頂に出ることは間違い無いだろう。目の前は延々と続く岩の山肌。後ろは谷とゴツゴツした稜線。南アルプスの真っ只中を登る。風が強くなり止まると寒い。ちぎれた雲が目の前を飛んで行くようになる。高度計はまだ2700mなどとなっているが2895mの山頂は近そうだ。
高度計が2770mで山頂に到達。11時30分。ガスと強い風で立っていられない。山頂であることを確認すると直ぐに降りるルートを捜す。ガスで視界が全く無くなり分からない。初めは降りやすそうな尾根筋を下り始めるが、コンパスを確認すると南を向いている。これは不味い。引き返し北に向かう降り口を捜す。岩場から急に落ち込む降り口があり安心。
後は西の斜面から吹き上がる冷たい風を避けながら尾根を北に向かう30分程で鐘の音が微かに聞こえる。大門沢降下点のようである。反対方面から登山者がぞろぞろと降下点に向かって来るのが見える。後で知ったことだが北岳から農鳥岳まで縦走して大門沢を下るルートは、南アルプスの登山ルートの銀座だそうで登山者が多いのが頷ける。
下降点から大門沢までは急な下り坂である。大門沢は白っぽいガレ場を突然豊富な水量で流れ下っていた。沢沿いに道をくだると大門沢小屋がある。小屋につく前に雨となる。
大門沢小屋を15時に通過。考えてみると財布を車に置いてきてあり、小屋の厄介にはなれない身分である。山に入るときも財布を持ってくるようにしよう。小屋を過ぎると川沿いに道は続き、時間との競争で下っていく。地図上での距離ではいままでの倍以上を、せめて6時までに歩く必要がある。ひたすら歩く。さすがに膝と靴の中の足が痛くなる。山道で平らな道になると楽な膝も、少しでも下りに傾くと痛い。
17時過ぎに登山道が終わり、アプローチの舗装道路に出る。5時間で標高差2000mを下ったことになる。発電所の横の車止めにザックを置き、空身で奈良田駐車場まで車を取りに、びっこを引きながら歩く。地図で見る以上に長い距離だった。
グループで来ていれば奈良田温泉に一泊するのが良いだろう。一人なのでともかく帰ることとする。
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