玉川上水緑道

 

玉川上水は、徳川家康が幕府を開いてから50年後の承応2年、西暦1653年につくられました。

当時江戸では、湧き水や溜池、周囲の小さな河川の水を使っていましたが、人が増え、町が広がるにつれて、それだけでは足りなくなってきていました。そのころの技術では山の手の台地に井戸を掘ることは難しく、また海に近いところでは塩分が混じってしまうため、身近なところで良質の水を確保することができなかったのです。
 そこで、水量の豊かな多摩川から水を引くことになりました。武蔵野台地に堀を掘って人工の川をつくり、江戸まで水を流すわけです。

地形をよく考え、谷などを横切ることなく江戸まで水を引いて来ることのできるルートが定められました。取水地点の羽村から四谷大木戸(現在の新宿区四谷)までの約43キロメートルは堀で、さらに先の江戸城と江戸の町へは、石や木でつくった水道管(石樋・木樋)が地面に埋められて配水されたのです。

堀の工事はおよそ8ヶ月という短期間で完成しました。そのために、玉川上水沿いの村々はもとより、遠く檜原村からも人が集められたといわれています。

(羽村市ホームページより)

 

西武拝島線玉川上水駅近くの小平監視所の完成で、玉川上水の水は東村山浄水場に送られ、現代の上水(水道水)に変身する。

その後、昭和46年に多摩川の水が全く利用されなくなると、小平監視所より下流は空堀となってしまった。

玉川上水の流れを復活させたいと言う住民運動に応じて、昭和61年に小平監視所のすぐ下流に、流水口が作られ清流?が復活した。ただし、この水は昭島下水処理場から送られてくる処理水である。だから、何となくドブの匂いにするのが惜しい。この匂いを何とか処理できないのだろうか。どこの下水処理場の水もこの匂いがしているので、やはり難しいのだろう。

復活した玉川上水の横を小さな流れが平行する。これは監視所の場所に以前からあった分水口で、野火止用水と一緒に分けられた小平用水である。この小平用水には今でも小平監視所から多摩川の水が分水されている。

 

この玉川上水の流れの横を玉川上水緑道が、玉川上水駅から三鷹駅まで(約24km)続く。

5月4日五月晴れの中、玉川上水緑道を玉川上水駅から小金井公園まで(約9.5km)歩いた。

緑道 気持ちのいい散歩道が続く

 

上水にかかる橋 欄干が凝った擬木だった。

 

上水の水の流れ 水量は豊かとは言えない。

 

緑道沿いにあったコナラの樹のコブ

 

クヌギ、コナラ、エゴノキ、カツラ、クマシデ、ガマズミe.t.c.

 

上水の上を走る西武多摩湖線

 

 

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