ウメ |
学名 | Prunus mume. |
別名 | Japanese Apricot(英)、梅(中) |
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梅 | 分類 | バラ科スモモ属 (落葉小高木) |
中国語の梅(Mei)から転化して、ウメとなった言う説が有力。 | APG分類 | バラ科スモモ属 (落葉小高木) |
原産・分布 | 中国中部原産(日本では、奈良時代には栽培されていた) | |
神奈川県 | 自生は無い | |
用途 | 庭木、鉢植え、器具・彫刻材 | |
原産地の中国では、古来花木の代表として愛されてきており、現在は国花とされている。 日本でも中国に習い、奈良時代は梅の花を愛でた。その後、花木の代表はサクラへと移っていく。しかしその果実の有用性から、戦国から江戸時代には武将たちが、各地でウメの栽培を領地で奨励した。現代でも有名な梅園は全国にある。 |
梅林 横浜市 根岸森林公園 050213 |
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庭や畑で栽培されている。九州では、野生化しているものもある。 冬に多くの花を咲かせるウメに、吸蜜性の小鳥メジロが群れでよく訪れる。まだ昆虫が少ない時期に大切な送粉者だ。 メジロはどこか分かりますか? |
ウメとメジロ 立川市 昭和記念公園 190126 |
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幹は暗黒色で、不揃いは割れ目ができる。 梅は剪定に強く、剪定することで樹形もよくなる、と言われる。「サクラ切る馬鹿、ウメ切らぬ馬鹿」とされる。剪定を繰り返し、曲がりくねった幹に、ウメノキゴケなどが着くと、何とも風情が出てくる。 |
幹 横浜市 港北区 0112 |
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紅梅の幹や根は材が赤い。逆に根の赤い梅を紅梅と呼ぶとする説もある。紅梅の材や樹皮を使って染めた色を梅染と呼んだ。 | 紅梅枝断面 上野原市秋山 150317 |
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花は、早春の2〜3月に、展葉に先立って咲く。通常は白色。花弁、萼片はそれぞれ5枚、雌しべは1つ、雄しべは多数ある。 バラ科の花には自家不和合性があるため、複数本ないと実のつきが悪くなる。 花の色は通常白だが、紅、淡紅色など、いろいろある。園芸品種は300以上あると言われる。 花言葉「高潔、忍耐、忠義、上品、独立、澄んだ心」など沢山ある。それだけ親しまれた花。 |
野梅(ヤバイ)花 横浜市 港北区 040202 |
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花の後はしばらく変化がない。サクラの花が終わり葉を茂らす頃に、ウメの葉は展葉を始める。実はすでに大きくなっている。 | 芽吹き 横浜市 港北区 190411 |
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葉は互生し、葉身は倒卵形〜楕円形。縁には不整の鈍鋸歯がある。表面は濃緑色で無毛、裏面は淡緑色で、脈腋に微毛がある。 | 葉 横浜市 港北区 060519 |
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果実はほぼ球形の核果で、表面には微毛が密生する。6月頃、黄色に熟す。昔から梅干しや梅酒として親しまれてきた。梅干しにはクエン酸などの有機酸を多く含み、強い殺菌力を持つ。古代中国や平安時代の日本でも、梅干しを下痢止め、食あたりに薬用した。 ★薬効★風邪、咳止め、解熱(生薬名「鳥梅」。青梅を燻製する)。 |
若実 横浜市 港北区 060519 |
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実が熟して落ちると、意外と早く果肉部分は腐って無くなる。後には大きな核が残る。扁平な楕円形で先が尖る。固い核の表面には小さな凹みと不規則な溝がある。 ★毒★未成熟の実や種子(核)には青酸配糖体アミグダリンを含む(呼吸困難、心臓麻痺)。致死量はウメの実200個と言われる。 |
種子(核) 上野原市 秋山 190625 |
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一年枝は緑色で小さな白点が無数にある。葉芽は小さく長さが2mm程度。芽鱗の縁には短毛がある。 1節に芽は1〜3個つき、両脇の副芽は小さい。写真も手前に副芽がある。 |
冬芽(葉芽) 横浜市 港北区 110316 |
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花芽は早春に膨らみ丸くなる。 花芽は1年枝につき、短枝に多く付くが勢いの弱い長枝にもつく。勢いの強い長枝には花は咲かない。2年枝、3年枝には短枝が出ることで翌年花芽がつく。 |
冬芽(花芽) 上野原市 秋山 160211 |
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こぼれ話 「松竹梅」 → クロマツの項を参照 「菅原道真」「飛梅」 ウメにまつわる話はいろいろあるが、平安時代前期の菅原道真公(845〜903)の飛梅の話が有名。 道真は幼少より才智をうたわれ、23才で下級官吏に登用されてから出世街道を突き進む。宇多上皇の後ろ楯もあり55才で右大臣まで上り詰める。これを時の権力者、左大臣藤原時平が妬み、醍醐天皇に讒言し、九州太宰府に左遷させたとされている。この讒言の経緯は、宮中における権力争いであり、いろいろな説があるようだ。宇多上皇と醍醐天皇の確執、藤原家および旧守派の貴族と道真など改革派との確執など。ともかくは道真には、身に覚えのないことだった。 道真は、日頃から紅梅殿の梅をこよなく愛していて、都を離れるときになごりを惜しみ、 東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ と詠む。この梅の枝が、道真を慕い都からはるかに飛んで太宰府に参ったというのが飛梅伝説である。「古今著聞集」などでは、道真に同情した人物が密かに苗木を携えて筑紫に渡ったともされる。 現在では、その飛梅の木が太宰府天満宮のご神木とされている。また福岡県の県の花としても梅が選ばれている。 一方、道真は太宰府への左遷後わずか3年たらずで、悲憤のうちに薨去する。しかし話はそれで終わらない。その後30年あまりの間、皇室や藤原氏など朝廷の要人に多くの不幸が続いた。醍醐天皇はそれを道真の祟りと恐怖し、道真の罪を許すと同時に贈位し、さらに右大臣にも復したが、祟りは止まず朝議中の清涼殿に落雷し、醍醐天皇自身もそのショックで亡くなってしまう。 この清涼殿落雷事件の後、道真は雷神としても祭られるようになり(→こぼれ話「桑原」)、祟りを鎮めるために京都北野に北野天満宮が建立される。以来、天災を鎮める天神信仰が全国に広まることになる。現在では天災鎮護は影をひそめ、道真の才智を尊ぶ学問の神様として信仰されている。 あまり才智に長けると世の中良いことばかりではない、という典型的な話ではあるが、受験の時期になると全国の天神様は忙しくなる。 全国で「〜天神」と呼ばれる神社は菅原道真公を祀っている。 「北野天神縁起絵巻」清涼殿落雷事件 |