モモ

学名 Prunus persica.
別名
分類 バラ科スモモ属 (落葉小高木)
果実の代表としてミ(実)が強調され、重なった実実が転じてモモとなった。多くの果実の意味で百(モモ)とも。他に真美(マミ)、燃実(モエミ)、諸々(モロモロ)などの転とする説もある。 APG分類 バラ科スモモ属 (落葉小高木)
原産・分布 中国黄河上流原産(縄文時代には伝来していたとされる)
神奈川県 自生は無い
用途 庭木、果樹
古代に中国から伝わり、当初は薬用として後に鑑賞用、果樹として広く栽培されている。現代のような果樹としてのモモの品種は明治時代以降になる。
花木としては広く植えられ、山間地では野生化しているものもある。


上野原市
秋山
230404
樹皮は白褐色あるいは柴褐色で、横長の皮目が目立つ。
若い幹

上野原市
秋山
230508
葉は互生、基部は円形の倒卵状披針形または楕円状披針形で、先は鋭く尖る。縁には細かい鋸歯がある。
葉柄上部あるいは葉脚に1〜2対の腺点がある。葉腋に托葉があるが、多くは早期に落ちる。
枝と葉

上野原市
秋山
220727
葉表

上野原市
秋山
220727
葉裏

上野原市
秋山
220727
若い葉脚

上野原市
秋山
230508
花は前年枝の葉腋に1〜2個つき、4月に展葉に先立って、またはほぼ同時に咲く。通常は淡紅色。花弁、萼片はそれぞれ5枚、雌しべは1つ、雄しべは多数ある。
花弁は中央が少し凸状になる。似た花のウメ、サクラと比べると、ウメは円形、サクラは少し凹む特徴がある。
バラ科の花には自家不和合性があるため、複数本ないと実のつきが悪くなる。
花の色は、果樹用のモモは基本種と同じ淡紅色が多く、鑑賞用のハナモモは白色〜鮮紅色までいろいろある。また紅白が混ざる源平枝垂れなど、園芸品種は多い。
花言葉「気立ての良さ、チャーミング、私はあなたのとりこ、天下無敵、長命、比類なき素質」など沢山ある。言葉通り、女性を称えた意味合いが多い。


上野原市
秋山
230328


上野原市
秋山
230327


上野原市
秋山
230330
果実は扁平な球形の核果。表面にはビロード状の細毛が密生する。片側に細い溝が1本縦に走る。
果樹用の品種以外では熟しても食べることはできない。熟すと硬く暗褐色になる。


上野原市
秋山
220727
1年枝の頂芽は葉芽、側芽は葉芽と花芽の混在する複芽になる。写真は花芽1個と葉芽2個(1つは予備)と思える。
花の咲いた葉腋の葉芽は、通常は展葉しない。
冬芽

上野原市
秋山
170228
こぼれ話 「桃源郷」
古代中国では、モモは強い生命力を持ち、鬼(死者の霊)に勝つと考えられた。漢の時代には新年に桃の樹で作った人形を門口に懸けて邪気を払う習わしがあった。桃の実は仙果として食べると長命になるという考え方が魏晋南北朝以降、多くの文学作品の中にみられる。
日本でもその伝承が受け継がれ、「古事記」には、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰る途中、追いかけてくる黄泉国の鬼の軍を桃の実を投げて追い払う逸話がある。

古くから信仰された女仙として西王母がいる。西方の崑崙山に住む人頭獣身の女神であり人でもあった。不老不死への憧れから、道教では天界の美しき最高仙女として、不老不死の仙桃を管理する、天の女主人のイメージとなる。西王母の桃は蟠桃(バントウ)で、三千年に一度花をつけ、さらに三千年後に実をつけるとされた。

魏晋南北朝時代の文学者、陶淵明は戦乱の混乱期に下級官吏の仕事に長続きせず、後半生は田舎での隠遁生活を続け、田園風景の詩や散文を多く残した。中でも当時としては珍しいフィクションの作品「桃花源記(武陵桃源)」は、東洋版のユートピア、理想郷を描いた作品で「桃源郷」の語源となる。
武陵に暮らす漁師が舟を漕ぐうちに、桃の花の林の奥の美しい村へとたどり着く。そこは人々が平和でのどかに暮らす、穏やかな時間が流れる村だった。漁師はその村で、数日間酒食のもてなしを受けて、ふたたび元の武陵の町に戻る。その後、漁師が再びその村に行こうとして、いくら探しても二度と見つけることは出来なかった。
この作品の解釈は、理想郷を外の世界に追い求めることは間違いで、本当は自分の心の中にある。現実を逃避して理想郷を捜すのではなく、日常生活の中で精神的な平安を求めることが大切である、と一般的には解されている。他民族の侵略に悩まされる時代、隠遁生活の中で桃の花に理想郷を見つけた作者の心象風景だった。桃が仙人の住む理想郷を守っている、というイメージもあったのかもしれない。

(写真は「桃源仙境図」(明 仇英))

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