使い捨て文化
2012年1月10日
2009年の春に初代のiPhoneを購入した。
1週間ほど使っているうちにタッチパネルが反応しなくなり、仕方なしに渋谷のアップルに出かけた。
少しの時間調べていたが、すぐに初期不良品との判定だった。
どうするのかと思ったら、新品を出してきて交換。設定内容をすべて移しかえる作業をして、お疲れさまとなった。
iPhoneには「修理」という選択肢は無く、故障をしたら交換のようである。
考えてみればこんな小さくて精密なものを、いちいち修理などしてられないのだろう。
確かに、携帯電話を修理するなんてあまり聞かない。
昔はラジオだってテレビだって洗濯機だって、修理して使っていた記憶がある。
多少、電気回路の知識があれば自分でも修理できた。
今の携帯電話は裏蓋を開けたら即壊れてしまうような印象があるし、精密すぎて店先で修理なんてありえない。
パソコンや家電製品も、故障して販売店に持ち込むと新しいのを購入した方が安いですよと言われる。
事実、修理費は数万円し、新機種はそれより安い。
かくして電気製品は、そのほとんどが使い捨ての時代になり、リサイクル業者が軽トラで回収して回る。
その1年前2008年の暮れの時期に、流行りの美人モデル数人が「マイ傘キャンペーン」をやっていた。
洋傘業界のキャンペーンだったと思う。
当時(たぶん今でも同じだが)安いビニール傘が巷にあふれ、ちゃんとした傘の売上が低迷していて苦肉の策だった。
当時の新聞では、日本の洋傘輸入量は年間に1億3000万本で、世界一の消費量とのこと。
そのうち9割がビニール傘で、100円ショップで使い捨て傘のように売られていた。
日本人は、まさに傘を「消費」していた。
神奈川県の二宮のフィールドで竹林の整備活動をしている。
そこで毎年一定量伐採する真竹を、いろいろ活用する道は無いか探していた。
竹細工についてインターネットを調べていておもしろいサイトを見つけた。水俣に住む竹職人のサイトだった。
僕と同じ脱サラ経験を持ち、職人を目指し竹職人の師匠の元で修行を経て独立した人だった。
その人の師匠の現役時代の話が興味深かった。
かつての竹職人は、顧客とする農家一軒、一軒を一年間かけて順番に回り商売をしたという。
農家では笊やら籠やらいろいろな竹製品を、生活用具として、農器具として使っていたので職人が来てくれるのは便利だった。
竹職人は訪問した農家のあらゆる竹器具について相談を受けた。壊れていたら修理し、必要なものがあれば新しく作る。
長ければ2〜3日とかかったそうだ。それに対し、農家は相応の日当を払う。
腕が良ければ、新しい農家からも声がかかり、腕が悪ければ、翌年には来なくて良いと言われた。
一方農家では、使っている竹器具が壊れたからといって捨てることは無かったという。
縁がほつれても笊に穴が空いても職人に修理を依頼する。
親の代、祖父の代から使っている籠、100年は使っているという笊など、使い込んだ風格を持った竹器具の写真が載っていた。
職人は、その修理技術が売りだったのではないかとも思える。
その竹器具のほとんどが、今はプスティックに置き換わり100円ショップで売られている。
穴の空いたプラスティックの笊を治して使う人はいないので、当然使い捨てである。
捨てられたプラスティックは、これがまたやっかい者で100年経っても腐らないで海岸に打ち上げられる。
一方、竹林は誰にも利用されなくなり荒れて竹藪となっている。
江戸時代の風俗を図付きで紹介する百科事典として「守貞謾稿」というユニークな文献がある。
巻の五、巻の六に「生業」として当時の職業の紹介がある。
パラパラと見ているだけでも楽しいが、よく見ると修理屋稼業が多いことに気づく。
キセル、錠前、銅鉄の鍋釜、下駄、刃物、眼鏡、瀬戸物、印肉、傘、算盤、提灯、雪駄、行灯、炬燵やぐら、羽織ひも、などなど。
何でも直して使っていた。そう金輪際、捨てる物など無かったのだろう。
守貞謾稿(岩波文庫)より「瀬戸物焼接」
当然、大量生産技術など無かったから、新品は高く、なかなか買えなかったのかもしれない。
一方、修理が職業として成立していて、それなりに江戸の経済は回っていた。
昨年の3月に、娘の結婚式でスペインに行ってきた。
娘夫婦の案内で、陽光のアンダルシア地方を楽しむことができた。
どの街に行っても、古いけれど綺麗にされた建物が、お互いに切れ目なく建っている様が不思議に思えた。
隣どうしの家はどう見てもつながっている、つまり壁を共有しているように見える。
壁が切れるところは路地であり道路だった。
スペインアンテケラにて
日本に帰ってきてからも欧州の旅番組をみていると、特に地中海沿海地は同じ家の作りをしていることが分かった。
家の建替えはどうやっているのだろうか?
本当のところはよく分からないが、つまりは家を建て替えないのではないかと思っている。
娘夫婦が家を買ったと言うので様子を聞くと、古い作りでバスルームのリフォームが大変だったとか。
古いものを大切にして生活の歴史を積み重ねていく文化が感じられる。
振り返って日本の街並みを見てみるとどうだろう。
マイホームは誰でも一生に一度の大きな買い物であり、一見、立派で綺麗な家が立ち並んでいる。
でも結局は2世代以上に渡って住むことを前提にしておらず、実際子供たちもまた新しい家を建てている。
だから今の家屋の寿命は20〜30年といわれる。家までも使い捨てである。
日本人は高度経済成長というお祭騒ぎに浮かれて、いろいろなものを使い捨てにしてきた。
使い捨ては便利でもあるから、一度始めたらなかなか止められない。
そして悪いことに使い捨て文化は、大量消費経済の原動力でもある。
日本人が歴史の中で作ってきた文化までも使い捨てにしないためには何をすべきなのか。またすべきでないのか。
一人一人の価値観の中にあるような気がする。
新しい年の始まりに当たって、自分自身の反省など徒然に。