樹木にとって剪定とは
2003年10月13日
「剪定をしないと樹はどうなります?」という質問を、最近何回か受けた。
「樹はどんどん大きくなります」と答えている。
質問した人は公園の管理責任者で、来年の予算申請の理由を考えているのか、削減の余地を考えているのか。
どんどん、と言うのはウソで、樹によっての大きさの限界は当然ある。
だけど剪定の持つ意味はウソではないと思う。
制限のある土地に植えられた樹が、大きくならないように(ずっと同じ大きさを維持するために)剪定を行なう。
植木屋が樹を切るやり方には大きく2つある。剪定と刈込みである。
正確に言えば、剪定にも強剪定、弱剪定などの違いはあるが、基本的に剪定は切る位置を考えて切る。
幹や枝の先に葉があって初めて、その幹や枝は生きることができる。
幹の先に葉が無いときは、樹はどこかに芽を出して葉を作る。それができないと幹は枯れてしまう。
剪定は、太い枝や幹を切り、葉のある細い(短い)枝を残して、樹を小さくする技術である。
広葉樹は、萌芽力が強く不定芽ができやすいので、無理やり太い枝を切ることも可能である。
しかし針葉樹は、不定芽ができにくいため、葉の無い枝を作ると必ずその枝は枯れてしまう。
1本づつ枝を見ながら、葉の無い枝を作らないように切ることを剪定と言う。
一方、切る位置に頓着しない、つまり一律に、大きな鋏でザクザクと樹を切り刻んでいくことを刈込みと言う。
当然、葉が全くなくなるような刈込みはやらないが、1本づつの枝を見ると葉の無い枝は沢山できる。
刈込みは、人間にとって都合のよい(見た目が良い、面白い)形の樹を作る技術である。
生垣は生垣らしく、ツゲは段作りに、トピアリーは子供が喜ぶ形にそれぞれ刈り込む。
それでは剪定と刈込みで、樹木にとって善し悪しがあるかと言うと、あまり違いは無いのではと僕は思っている。
刈込みをやると、樹は一生懸命腋芽や不定芽を、刈り込まれた位置に出すため、益々刈込み向きの樹になる。
剪定だと強剪定をやらない限り、樹は自然樹形に近い形になる。
どちらにしても、根と葉の量のバランスが大きく崩れるような切り方をすると、
樹木の生理的負担が増すので、良くないと思う。
庭木としてマツの人気は衰え、変わりにコニファーを植える人が多いと聞く。
コニファーとは針葉樹のことらしいので、マツだってコニファーなんだけど、
ホームセンターの園芸コーナでは、ゴールドクレストだとかカタカナの長い名前が多い。
どれも成長が早く、剪定が難しく、庭が狭いため5年も経つと、姿は惨めで邪魔な植木になってしまうようだ。
コニファーは鉢植えで育てた方が良いと思う
道路が先にあって、そこに後から植えられた街路樹は惨めである。
もともとスペースの無いところに何本も樹が植えられる訳だから、人や車にとっては邪魔である。
街路樹は植えられた時から、大きくなってはいけないのだ。それなら街路樹なんか植えるな、とは言わない。
やはり樹木が多い、身近に緑があった方が人にとっては良いのだと思う。
街路樹は、大きくならないように、枯れるまで切られ続ける運命なのだろう。
せめてこれからの道路は、街路樹のスペース込みで設計して欲しい。
人が緑を要求し、人の生活圏内により多くの樹木を植えるためには、飼い馴らされた樹木が必要になる。
とはいえ、制限された範囲で、できるだけ伸び伸びと育ててあげたいとも思う。
山に生えた自然の中の樹木だって、生理的ストレスが無く育つことは多分難しいだろう。
自然の中のストレスとは異なり、人がストレスを与えて、樹を飼い馴らす技術の一つが剪定なのだろう。
それは、樹の寿命を長くもするし短くもする。