タチバナ

学名 Cirtus tachibana
別名 ヤマトタチバナ
分類 ミカン科ミカン属 (常緑低木)
天皇の命によりこの木を持ち帰った田道間守(たぢまもり)にちなんだ名、とされている。(「こぼれ話し」参照)。 原産・分布 本州(静岡、愛知、和歌山、山口)、四国、九州、沖縄。台湾。
神奈川県 自生は無い。
用途 庭木
沿海地の山中に生える。高さ3〜4m程になり、よく枝を分ける。日本特産種であり、古来から知られた柑橘。
実は酸っぱく薬用とされた。日本書紀など神話では不老長寿の木の実とされている。
写真は剪定管理されているため、きれいな樹形になっている。枝は数多く繁る。


東京都
調布市
神代植物公園
140129
幹は暗褐色で滑らか、縦縞がはいる。材は硬くよくしなる。

東京都
調布市
神代植物公園
140129
葉腋から刺を出す。

川崎市
高津区
橘神社
180512
葉は互生し長楕円形。先は細くなった最後に凹頭になる。基部は楔型、縁はほとんど全縁。質は革質で表面には油点がある。葉柄には翼がない。
葉を傷つけると爽快な香りがする。


東京都
調布市
神代植物公園
140129
5〜6月に枝先の葉腋に白い花を咲かす。

川崎市
高津区
橘神社
180512
果実は秋から冬に黄色に熟す。直径3cm程度で小さい。果皮は黄色で薄いが果肉は酸っぱく食用にならない。

東京都
調布市
神代植物公園
140129
こぼれ話
タチバナは古くから神聖な樹とされ、古事記日本書紀にも逸話としてあるいは名前として多く登場する。さらに万葉集にはタチバナが登場する歌が約70首(第5位)ある。

「非時香実(ときじくのかぐのみ)」
古事記および日本書紀垂仁天皇の段の最後に登場する話。天皇の命で田道間守(だぢまもり)常世の国非時香実を探しに行く。この実を食べると不老不死になるといわれ、海の彼方の誰も行くことのできない国にあるとされている。田道間守は苦労してこれを持ち帰るが、すでに天皇は亡くなっており、陵墓の前で泣き叫んだまま息絶えてしまう。
この実が橘である。タチバナの語源もタヂマモリが転じたとする説がある。あるいは田道間守の名そのものが、「田の道で(香りが)目立つ存在」の意を持つとも考えられる。橘が不老不死の薬とするのは中国の神仙思想の影響を受けている。タチバナが日本の在来種であるのに常世の国(中国?)に採りにいくのは、野生でも稀だったのか、神聖さを強調するためだったのか。外国産をより貴重とする事は今でもある。
果実は木菓子と呼ばれていたことから、田道間守は菓子の神として中嶋神社(兵庫県)に祀られている。

「弟橘媛(おとたちばなひめ)」
垂仁天皇の次の代(第三子)、景行天皇の段では有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)が登場する。日本武尊は、父である景行天皇の命により九州の熊襲討伐に続いて、東国の蝦夷討伐に出陣する。途中、伊勢神宮に寄り草薙の剣を授かる。駿河では賊に騙されて野火に囲まれてしまうが、草薙の剣により迎え火を起し、賊を返り討ちにする話は有名。
その後、相模の国に入った日本武尊は、房総半島に渡ろうとするが海神の怒りを買い暴風雨となってしまう。そのとき妃の弟橘媛が「私が身代わりに海に入ります」と言って入水すると、海は鎮まり尊の船は無事に房総に渡ることができる。尊はさらに東征を続けることになる。無事に東国の蝦夷たちを討伐し終えた尊が、都に帰るために足柄の山を越える際、碓日坂(碓氷峠、箱根山中にある)で弟橘媛を思い出しながら東を振り返り、「吾妻はや(わ妻よ)」と三度嘆いたとされる。
これらの話の中に様々な地名起源説話が登場する。草薙の剣で野火から逃れた地を「焼津」(静岡県焼津市)、「草薙」(静岡市)、房総に渡った海を「馳水(はしりみず)」(横須賀市走水)、媛の袖が流れ着いた地を「袖ヶ浦」(千葉県袖ヶ浦市、習志野市、神奈川県二宮町などにある)、さらに東国のことを「あずま」と呼ぶことなどがある。
日本武尊は弟橘媛を深く愛していて、媛を祀るために御陵をつくり、その櫛を納め、橘の木を植えたとされる。千葉県茂原市にある橘樹神社の始まりとされている。延喜式では上総国の二宮である。
日本武尊と弟橘媛の伝承は関東の各地に残り、この2神を祀る神社も多い。川崎市高津区には、同様の由来のある橘樹神社があり、近くにある6世紀ころの古墳を弟橘媛の陵としている。また神奈川県二宮町の吾妻山には吾妻神社(写真)がある。神社前一帯の梅沢は、流れ着いた櫛を埋めて陵を作ったので埋沢が転じたとされる。また近くの海岸には袖ヶ浦の地名が残る。

「右近橘」
京都御所の紫宸殿の正面の階段の右側(階段から見て)に橘の木がある。左側には桜があり左近桜右近橘と相対して有名。ここに橘が植えられた理由は、平安京遷都以前からこの場所が橘姓の太夫宅で、橘の木が植えたあったためとされる。橘姓の太夫ではなく聖徳太子の側近で、秦河勝という渡来人の宅地であったとする説もある。いずれにしろ橘が非時香実(常に香りのある実)として、不老長寿のめでたい樹とされたために受け継がれ、現代の京都御所にも植えられている。

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