クロマツ 学名 Pinus thunbergii
別名 オマツ
黒松 分類 マツ科マツ属 (常緑高木)
樹皮が黒いマツの意。「マツ」については、門松(こぼれ話参照)に見られるように神を「待つ」、神を「祀る」の意と、常緑であることからマトノキ「真常木」、久しきを「待つ」、「保つ」の意であるとする説などがある。 原産・分布 本州、四国、九州、朝鮮南部
神奈川県 海岸から内陸部までシイ・カシ帯に広く分布する。植採が多い。真鶴半島の黒松林は、巨木が多く見事。
用途 庭木、並木、防風・防潮樹、建築・土木・器具材
潮風に耐えるので、海岸沿いを中心に広く自生する。あるいは防風林として植栽される。日本の海岸線の景観を代表する植物である。三保の松原、松島、浜松などマツに因んだ地名、名所も多い。
公園や庭園に植栽されたマツは、庭師によって独特な形状に仕立てられることが多い。かつては個人邸でも好んで植えられた。
日本の絵画でもよく素材となる。能舞台の背景には影向(ようごう)の松が描かれている。
一般的には区別なくマツと呼ばれるが、正確には山地はアカマツ、海岸はクロマツが多い。


横須賀市
長井
190316
防風林

東京都
辰巳公園
180512
庭園木

東京都
浜離宮
020529
その名の通り樹皮は、灰黒色で、老木になると、深い亀甲状に裂け目ができ、厚い不規則な断片となって、剥がれ落ちる。

横浜市
三つ池公園
040329
葉は線形、先が尖るので小さな槍のようでもある。断面は半月状で2本の陵がある。アカマツとくらべ葉が堅く触ると痛いのでオマツ(雄松)という別名がある。
2本づつが束になる、いわゆる二葉のマツである。マツ科には他に三葉、五葉などがある。


横浜市港北区
240110
雌雄同株、雌雄異花
4〜5月に開花する。雌花は、今年の枝の先端に2〜4個付く。紫紅色でほぼ球形。球果は、翌年の10月ころに熟す。
雌花

東京都
海の森
190413
雄花は、今年の枝の下部に群がって付く。ただし、雌花と雄花が、必ずしも同じ枝の、上と下とに付くとは限らない。
雄花

東京都
海の森
190413
クロマツの球果は熟すのに1年半かかり、種子が散逸したマツボックリもしばらくそのまま枝に残るため、雌花が咲いてから3世代の球果を、1つの枝で確認することができる。
写真上:伸びている新枝の先に小さな赤い雌花があり(写真中上)、その新枝の付け根に1年目の球果がある(中下)。さらに昨年秋に種を飛ばしてしまい今は開いたままのマツボックリがその下に。
マツの仲間の球果は種によって熟す期間が異なる。アカマツ・クロマツは1年半(春〜春〜秋)、カラマツ・モミ・ウラジロモミ・シラビソは半年(春〜秋)、ヒマラヤスギは1〜2年(冬〜冬)など。
3代の実

みなかみ町猿ヶ京
160515
受粉直後

横浜市
鶴見区
030526
未熟の実(1年目)

藤沢市
六会
050513
実殻(2年目)

みなかみ町猿ヶ京
160515
球果は2年目の秋になると熟し、種子を出す。球果は乾燥すると鱗片が開き、雨が降って湿気ると鱗片が閉じる。乾燥した時に鱗片の間から、種皮の変化した翼のついた種子が風に乗って飛び出す。 種子

180922
竹箒を逆さに立てたような芽が出る。葉の先にまだ種皮の袋が乗っている。同じマツ科のモミと実生は似ている。
写真の隣はアキニレの実生。
実生

東京都
辰巳公園
180414
冬芽は白い綿毛に覆われている。 冬芽

横浜市
港北区
240110
こぼれ話
「松竹梅」

お酒やお線香のブランドとして、あるいは落語や長唄などの芸能の演題となっており、日本ではめでたいことの象徴になっている言葉。元は中国の「歳寒三友」として、文人画で好まれた画題の一つ。中国での松竹梅は、寒中でも色あせず、花開く「清廉潔白」という文人の理想を現したものとされた。元・明代には、陶磁器に描かれる主題として好まれた。写真は『歳寒三友図』(趙孟堅)
日本で料理などのランクとして松が一番、以下竹、梅と続くが、元々の意に順位は無い。寿司などを注文するのに、「並3つ」などと言わずに「梅3つ」の方が好まれる。
植物学的に「松竹梅」を見てみると、松が裸子植物、竹が被子・単子葉植物、梅が被子・双子葉植物と、植物の3界の代表が揃う。さらにお正月飾りでウラジロがあれば胞子植物となり、植物界の全てが揃って本当にめでたいことになる。(「語源辞典 植物編」より)
「門松」
最近の集合住宅では飾れなくなってしまったが、正月を迎える家の門口に立てる松や竹を組み合わせた飾り。一般の家庭では、簡略化した一対の松に水引を付けたものを飾ることが多い。
平安時代末から行われていた「子の日の小松引き」などの行事を元に、鎌倉時代にかけて広まった習俗といわれる。右写真は「子の日の小松引き(鈴木春信)」
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」一休和尚(1394〜1481)
松以外にも椿、榊、樒などの常緑の木が常磐木(神聖な木)として用いられた。古くから木の梢に神が宿ると考えられたところから、歳神さまを正月に迎える依代の意味合いだが、悪霊や邪気が家の中に入るのを防ぐ意味もある。
江戸時代の都市部では、「松は千年、竹は万年を契るめでたいもの 年の初めの祝い事」として考えられていた。1月の7日や小正月の火祭りに下げて焼くことが多い。元旦から7日までを「松の内」と言う。
門松の形式は地方によりいろいろある。太い竹を3本束ね、根元を若松の枝を配置し下部を藁で巻く形式のものが多い。竹の先端は斜めに切る(そぎ)場合と、真横に切る(寸胴切り)場合とがある。そぎは徳川家康が始めたと言われる。松を用いず細い竹を一対立て、注連縄を結ぶ形式や、松だけを立てる形式などいろいろある。

写真は「江戸名所図絵」より元旦諸侯登城の図。大きな屋敷の前を江戸城に登城する大名行列が行く。大名屋敷に大きな門松が立っているのが目立つ。

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