クリ 学名 Castanea crenata
別名 ジバグリ
分類 ブナ科クリ属 (落葉高木)
樹皮や殻が栗色だから、と言う説明は循環している。「クリ」とはもともと石の意で、堅い殻を指す、と言う説もある。  原産・分布 北海道(西南部)、本州、四国、九州、朝鮮中南部
神奈川県 全域に広く分布する。植栽が多い。
用途 庭木、果樹、建築・彫刻材、薪炭材
古今東西、人間に広く愛されてきた果実である。それぞれの地域の種が、北半球の温帯に広く分布する。
日本でも古くから、栽培されている。地名に栗の字のつく土地も多い。栗山、栗原、栗木、栗林などなど。
山地に生え、幹は直立し15〜17mになる。初夏に花が咲き、写真のように樹全体が白く盛り上がる。虫を呼ぶのか特有の臭気があたりに広がる。


川崎市
高津区
040530
樹皮は灰褐色で、縦に長い裂け目ができる。
材は堅く湿気に強いため、家の土台(根太)や、鉄道の枕木として使われた。


横浜市
鶴見区
せせらぎ緑道
030423
葉は互生し、葉身は狭長楕円形、葉脚は左右不同で、心形あるいは円形。縁は鋭い鋸歯がある。全体としてクヌギと似ている。鋸歯の先まで葉緑素があり、緑色をしている点がクヌギと異なる。

横浜市
鶴見区
せせらぎ緑道
030423
雌雄同株。
6月頃に本年枝の葉脈から、尾状花序をつける。雄花は尾状花序全体に、毛のようにつく。
花序

川崎市
高津区
040530
雌花序は、枝の上部の尾状花序の基部に1〜2個つく。将来針状のイガになる球形の総苞の中に3個の花が入っている。1個の花からは10本近い花柱が針のように突き出る。
写真の右上は雄花。
雌花

千葉市
小倉町
120620
堅果は長い棘のある殻斗(イガ)に2〜3個づつ包まれる。初め緑色で、秋に熟すと茶色になり、殻斗が割れて種子がこぼれる。
野山の動物や虫たちの食料になる。ツキノワグマも好物で秋にはクマ棚がよくできている。
若実

横浜市
鶴見区
花木園
040831
一般に野生のクリの実は小さいが、中から大きなものを選んで栽培グリが作られたとされている。
栗の実は、いわゆるアクがなく美味しい。栗の防衛手段は、そのイガであるが、それほど強力ではない。
種子

群馬県
みなかみ町
赤谷 121006
冬芽は、栗の実に似て、丸みのある三角形。 冬芽

横浜市
鶴見区
花木園
050210
冬芽から芽吹いた新しい茎と葉が勢いよく伸びる様子が分かる。多くの側芽からも芽吹いており枝分かれが激しい。新葉は裏側を内に丸まるためか成葉とは異なる印象を受ける。 芽吹き

上野原市
秋山
190502
大きな実の中は双葉であるが、他のドングリと同様に双葉は地上に現れない地下子葉性。最初の本葉に鋸歯はあるが、成葉とはかなり異なる形に見える。 実生

東京都
海の森公園
180414
有害な虫こぶとして有名な、クリタマバチによるクリメコブズイフシ。クリタマバチは中国原産の外来生物で、検疫有害動物に指定されている。
4月の萌芽と共に出現する。写真のように、きれいな桃赤色の球状に肥大した虫こぶになる。成虫は6月〜7月に羽化し虫こぶから脱出し、新しい枝の芽に産卵する。
ふ化した幼虫は芽の中で越冬し、翌春に成長を開始する。幼虫の成長とともに虫こぶも肥大する。
虫こぶ

横浜市
港北区
060404
オトシブミノひとつ。ゴマダラオトシブミによる揺籃。中には卵が1つ入っている。
オトシブミ(落し文)と言っても、この種のように切り落とさないものもある。切り落とせば、揺籃は自然と枯れて乾燥していく。切り落とさなければ枯れることもない。種による好みの違いなのだろうか。
揺籃

群馬県
みなかみ町
赤谷
100605
こぼれ話 「虫歯」
縄文時代狩猟・採取の時代といわれ、狩りにより獲物を得たり、木の実を採ることで食料としていた。日本列島での縄文時代は1万数千年前から紀元前数百年までとされている。その頃の日本列島の特徴は、今と同じ豊富な森林資源だった。特に落葉広葉樹林の広がる中部〜東北ではドングリ、クリ、クルミなどの堅果類が豊富に存在し、安定した収穫を得ることができた。特にクリは、クリ林(畑)として実の大きなクリを管理して育てていたことも伺える。縄文時代の人口は推計で最大26万人とされるが、その9割は中部〜東北に集まっていた。
縄文時代の遺跡から出土した人骨の歯を調べると、日本の縄文人は虫歯率が8.2%だった(「古病理学辞典」藤田尚)。現代人は30〜40%だそうで、縄文人は虫歯が少なかったのかと思えるがそうではない。同じ時代のアメリカ先住民は0.4〜2.4%、近現代のイヌイットは1.9〜2.4%とかなり低い。北海道の縄文人も2.4%くらいとのこと。
これは主食がクリなどの堅果類、つまり炭水化物(糖質)の摂取が多いことが原因とされている。農耕により米の栽培が始まった弥生時代の虫歯率は、ぐっと増えて15%を越えてくることからも、虫歯と糖質は深い関係にあることが分かる。採取が楽でアクなど無くそのまま食べても美味しいクルミやクリが、縄文人の虫歯の原因になっていた。
一方、縄文早期(9000年前)に2万人だった日本列島の人口は、縄文中期(4500年前)には26万人に増加した(「縄文時代〜コンピュータ考古学による復元」小山修三)との推計がある。この増加のエネルギー源が堅果類でもある。中期には気候が温暖になり堅果類が豊富になったこと、クヌギやトチの実などアクのある堅果について、アク抜きの技術が進歩したことなどが原因とされている。縄文時代を通して各地の遺跡では、堅果類を粉にして固めて焼いたクッキー状の物が発見されており縄文クッキーと呼ばれている。写真上は縄文時代の土器(山梨県考古学博物館)、下は同じく堅果類の調理器具(中野区歴史民俗資料館)。
同様に食料の安定化・増加が人口を増加させることは、弥生時代から奈良時代にかけての稲作文化の発達と人口増にも見ることができる。弥生時代に約60万人だった人口は奈良時代には600万人を越えていたと推計されている。人口増と競争するように虫歯人口は増え続けていたのだろう。

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