フジ |
学名 | Wisteria floribunda |
別名 | ノダフジ | |
藤 | 分類 | マメ科フジ属 (落葉つる性) |
古代に蔓から藤布や縄、籠を作ったことが背景にある。布織り作業の「経(タテイト)を打つ」ことから経(フ)打(ウ)ちとなり、それが変化したと推測される。 | 原産・分布 | 本州、四国、九州(日本固有種) |
神奈川県 | 全域の山地、丘陵地に普通に分布する。 | |
用途 | 庭木、公園樹 | |
山地に普通に生える。壮木になると、他の樹木の樹冠を覆ってしまうこともある。写真のような花は樹冠の上で咲くので下から見えることは稀。フジの蔓は丈夫で、巻きついた樹を、締め殺すこともあるため林業では有害植物になる。 別名にあるノダフジは本種の栽培種。山地に生えるフジをヤマフジと言うのは誤りで、正しくは関西以西に自生する別の種を言う。神奈川県には、自生のヤマフジは無い。 |
樹 丹沢 塩水沢 040513 |
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蔓は右巻きに、他の木に巻きついて大きくなる。近縁のヤマフジは左巻き。樹皮は灰褐色〜灰白色で、樹皮が網目状に裂け、ざらつく。コブ病が出やすい。 | 幹(コブがついている) 川崎市 東高根公園 040227 |
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フジの幹の成長は、同心円状には大きくならず、幹の一部だけが年輪を増やして大きくなることがある。その場合、幹は偏平になる。 | 幹断面 横浜市 篠原町 060930 |
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葉は奇数羽状複葉で互生する。小葉は6〜9対で、卵形または卵状長楕円形、質は薄い。 | 葉 藤沢市 六会 050513 |
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4〜5月に、葉腋から総状花序を下垂して、蝶形の多数の花を付ける。色は通常は紫色。 総状花序の典型で、花は基部の方から咲き始め、徐々に先端に移動する。長い房では、先端の花が盛りの頃、基部はすでに実ができつつある。 園芸品では、花序が1m以上になるものもあり、色も白、薄紫などがある。 花言葉「優しさ、歓迎、恋に酔う、決して離れない」などいろいろある。 |
花 横浜市 港北区 070423 |
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果実は豆果(莢果)で、狭披針形。平たく、短毛を密生する。長さは10〜20cm。 総状花序の一つの花が、一つの豆果になるので、よく見ると花軸に豆果がぶら下がる。つまり多くの花があっても1〜3個ほどしか結実しないことが分かる。あれだけ多くの花は、花粉媒介の虫を呼ぶための投資なのか? |
若実 横浜市 港北区 070726 |
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熟した果皮(さや)はかたく、裂開するとねじれる。裂開するときに、大きな音と一緒に、種子がはじけ遠くに飛ばされる。このため一般にフジは自力散布に分類される。種子は、平たく艶があり円形。 マメ科の種子は、発芽率を上げるためには、一般的に硬実処理(種皮に疵をつけるなど)を行う。 |
種子 横浜市 港北区 091128 |
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芽燐は暗赤褐色。冬の間は、葉芽、花芽とも区別が難しいが、春に近づくと、花芽は大きくなる。 | 冬芽 栃木県 足利FP 040222 |
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こぼれ話 フジは山に多く自生するが、その花の美しさで古くから鑑賞用に植採されたり、蔓の繊維から藤布を作るなど有用樹として利用されたりした。 |
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「藤棚」 フジの花は万葉集では27首に登場し、中に移植したフジの花の咲く様子を愛でた歌がある。 恋しければ形見にせむとわが屋戸に植えし藤波いま咲きにけり フジの根は太い主根が長く伸び、細根が少ないので「追い堀り」という特殊な堀り上げが必要で移植が難しい。奈良時代にすでに移植の技術が普及していたことがうかがえる。 平安時代になると藤花の宴が催される。寝殿式庭園では、中庭の松の木に絡ませて花を鑑賞するのが流行った。枕草子や源氏物語には松にかかるフジの花を褒める部分がある。確かによく手入れをされた松の木の枝から、フジの花房が下がっているのは、濃い葉の緑と合わせて艶やかな感じがする。ただし花が終わった夏場のフジの管理をしっかりやらないと、数年で松が枯れそうだ。フジはそんなにおとなしくはない。 現代のように鑑賞用の藤棚が作られるようになったのは江戸時代からとされている。写真は歌川広重の名所江戸百景「亀戸天神境内」。近景に垂れ下がる花房、太鼓橋の向こうに藤棚が並び、池に張り出した縁台ではお茶を飲みながら花見を楽しんでいる。 |
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「藤布(ふじふ)」 藤布は古代の布といわれ、丈夫ではあるが織り目が粗く、肌触りが良くないため、時代とともに木綿や麻などの布に置き換わっていく。縄文時代から山野に自生するフジの蔓を使って布が作られていた。 古事記では、イズシオトメという美しい娘に多くの男が言い寄ったが、藤布をまといフジの弓を持った春山之霞荘夫(ハルヤマノカスミオトコ)が娘の前に行くと、一斉にフジの花が咲き彼女を射止めたという話がある。 また、万葉集には作者不明の歌として、 大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも がある。作業着として古くから使われていたことが分かる。 10世紀ころより麻や絹に押されるようになるが、綿が栽培されるようになる16世紀までは、最も身近で手軽な繊維として作業着などに利用されていた。その後は綿の栽培が難しい北陸や山陰の山間地に、わずかに藤布の利用が残った。 現代では強い繊維として醤油搾りや蒸し布、畳の縁などに使われている。丹後や新潟の岩舟などの産地が有名。写真は新潟県立歴史博物館での展示品。 |