アオキ |
学名 | Aucuba japonica |
別名 | ダルマノキ 桃葉珊瑚(中) |
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青木 | 分類 | ミズキ科アオキ属 (常緑低木) |
葉が常緑で、いつも青々としていているため。学名(属名)のAucuba(アウクバ)は、アオキバ(青木葉)に由来し、日本の古来種であることを示す。別名は、実の説明を参照。 | 原産・分布 | 北海道、本州、四国、九州、沖縄。日本特産種 |
神奈川県 | 県内のシイ・カシ帯に広く分布。ブナ帯下部まで増加。 | |
用途 | 庭木 | |
林内に普通に生える。庭木としても多く植えられている。葉が小型の変種ヒメアオキは、耐寒性が強く、北海道や日本海側に分布する。 葉の緑と、実の赤のコントラストが美しく、庭木にされる。江戸時代中期にヨーロッパに伝わったが、雌株のみであったため、結実せず、改めて雄株の採集が幕末の日本で行われた。(下欄「こぼれ話」参照) |
樹 立川市 昭和公園 050306 |
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陰樹のため、暗いスギなどの常緑樹林の中でも低木としてよく育つ。ササがわずかに生える林床にまだ若いアオキの群生ができていた。 | 群生 千葉市 小倉の森 160317 |
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高さは1〜2m。枝は緑色だが、古くなると木質化して灰褐色になる。写真の中央の幹が2〜3年、左が4〜5年、右は6年以上か。 | 幹 千葉市 小倉の森 160317 |
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葉は対生し、葉身は長楕円形。縁にはまばらに鋸歯がある。質は厚く、表面には光沢がある。 葉には、配糖体のアウクビンが含まれるため、枯れたり、押し葉にすると黒くなる。 ★薬効★凍傷、火傷、創傷、腫れ物。民間療法では、葉を炙って貼り付ける。抗菌作用があり古来薬用として用いられた。 |
葉 千葉市 小倉の森 160317 |
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雌雄異株。3〜5月に、枝先に円錐花序を出す。雌株の方が花序は小さく、花が少ない。花弁は4枚で紫褐色。雌花は雄しべが退化して無い。 | 雌花 神奈川県 二宮町 060408 |
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雄株の花序は大きく、花の数も多い。雄しべは4本で、雌しべの痕跡がある。 雄花と雌花を比較すると、雌花のほうが、開花時期が遅いような気がする。雌雄異株なのに、開花時期をずらすことに、意味があるのだろうか。 |
雄花 神奈川県 二宮町 040328 |
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アオキの実は2cmほどの楕円形の核果で、冬に赤く熟し、春までには鳥に食べられるか、落ちてしまう。実際には赤く熟してから一月ほどでほとんど採食されるようだ。ヒヨドリの渡りの時期と一致する。ヒヨドリによる被食散布とされる。 ★食★ヒヨドリ、シロハラ、アカネズミ、ヒメネズミ |
実 伊豆 修善寺 050106 |
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薄い果肉の部分を取り去ると大きな核(種子)が残る。大部分は実生が育つための胚乳である。 写真上は実を半割りにしたところ。右下に白く胚が見える。果柄は反対側の左上につく。赤い外果皮と柔らかな果肉の中果皮を取り除いたところが写真右。一般的な核果と異なり内果皮は薄く柔らかい。 |
種子 千葉市 小倉の森 160317 |
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5月を過ぎて、赤い実がアオキの枝に付いていたら、ほぼ確実に虫こぶだ。写真のように中途半端な熟し方をしているので、確認できる。別名のダルマノキはこの実の形からついた名と思える。 アオキミフクレフシと呼び、タマバエの幼虫が中にいる。 「春の虫こぶ いろいろ」 |
虫こぶ 横浜市 根岸森林公園 040507 |
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晩冬には冬芽が大きくなっている。3月には芽が膨らみ、中から花序と新しい枝葉が伸びてくる。 | 冬芽 千葉市 小倉の森 160218 |
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常緑林の林床のような、日陰でもよく育つ。写真は双葉の間から、本葉がのぞいている。 葉を揉むと、青臭い香りがする。 |
実生 港区 自然教育園 060302 |
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こぼれ話 「プラントハンター」 17世紀から20世紀初頭にかけて、新たな有用植物を求めて世界中を探検する人たちがいた。新発見の植物は園芸用、食用、香辛料、薬用、繊維用などの目的で集められた。これらの植物は場合によっては莫大な利益を上げることもあり、プラントハンターは未開の地を行く冒険に見合うだけの職業であったようだ。彼らの目的地は、日本を含むアジアや中南米、アフリカ、オセアニアと全世界に及んだ。 日本にも江戸時代以降、多くのプラントハンターがやってきている。有名なところでケンペル、ツンベルク、シーボルト、ロバート・フォーチュン(右写真)が挙げられる。前3者はプラントハンターとは呼ばれないが同様のことを行い、日本産の多くの植物の学名の中に名を残している。最後のロバート・フォーチュンは幕末にやって来て、当時の日本社会を詳細に記録した探訪記「江戸と北京」(「幕末日本探訪記」講談社学術文庫)を残したことで有名である。 フォーチュンは日本の開国を知ると早速「長い間の宿願であった」日本訪問を1860年に実現する。「ヨーロッパに見られない植物の種類に富んでいて、かつ有用な植物が多い」とフォーチュンは見ていたが、アオキの雄株の収集も訪日の目的の中に入れていた。アオキの雄株の発見は日本到着後まもなく実現されるが、彼はその間に様々なことを見聞し記録に残した。 「もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。」 「(染井村について)私は世界のどこへ行っても、こんなに大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。」 「(ヨーロッパでは)変わり色の観葉植物(斑入りの葉)に興味を持つようになったのはつい数年来のことである。これに反して、私の知る限りでは、日本では千年も前から、この趣味を育ててきた」(引用は全て「幕末日本探訪記」より) もちろん日本を褒めてばかりの単なる贔屓ではなく、冷静な文明比較も随所で展開される。 フォーチュンは日本を訪れる前、アヘン戦争後の中国を訪れ、チャノキのインドへの移植に力を尽くす。インドのダージリンを世界的な茶の産地にしたプラントハンターとしても有名である。 |